自分のルールと相手のルール

甲斐谷忍LIAR GAME』。
4巻時点で書いた(→12)のですが、9巻(ISBN:9784088777030)時点でもう一度。
えーと、設定。

ライアーゲームというのは、ナゾの組織がいたいけな貧乏人(……)をつかまえてやっているいかがわしいゲームです。基本的に、ゲームの事務局がプレイヤーに大金を貸し付けて、それをプレイヤー同士で奪い合い――騙し合いをさせる。トーナメントで勝ち上がっていくけれど、勝者は奪った金の半分を事務局に払えばドロップアウトできる。敗者は奪われた金を事務局に返済しなければならない。
さて、主人公のナオが言うには、このゲームは、儲かろうとするプレイヤーがひとりもいなければ、誰も損をしないゲームなのだ。誰も得をしないが。勝者が奪った金を敗者に再分配すれば、敗者が莫大な負債を抱えることはない。

というわけで、ナオと秋山さんはプレイヤーを「負け抜け」させてます。負かせて、敗者の分の債務を代わりに背負う、と。勝ち残っている限り、ライアーゲーム事務局から請求されない、というルールがあるので。勝ってるのに借金だらけ。
さて、ここにヨコヤさんという人がいます。彼は支配大好きっ子です。ライアーゲームの本質を支配だと言い、金をちらつかせて手下をつくり、手下を含めて人を騙しまくり、がっぱがっぱと稼ぎます。でも金儲けが目的じゃなくて、ナオや秋山さんも含め、完璧に支配したいんだと思います。
で――、ナオはこの人を「敵」にしちゃってていいの? というのが疑問なのです。
戦術の問題ではなく理念の問題です。この人を「敵」として倒してしまって、「信じ合うこと」を唱えることができるだろうか?
まあ、もしヨコヤさんが莫大な負債を負って負けたとしたら、その分も肩代わりするだろうけど。それは、そういう性格なので。
こう、武装勢力VS非暴力主義者という構図なんです。暴力を是としていれば、誰が相手であっても殴れるけど、否とすると、殴られても殴り返せない、という、絶対的な弱みを抱えることになる。
価値観の相違による対立の場合、相手の土俵に上がって勝ったところで、あまり意味がない。けれど、土俵に上がらないでは話にもならない。……ということになりがち、の、ような……。というか、秋山さんがやったことなんですね、これ。母親を騙したマルチ組織を騙し返した、っていう……。それで勝ったといえるのかどうか。いちばん厄介なのは、「なんでも勝ち負けで考える価値観」への対抗、だろうな。
と、秋山さんについても疑問がひとつ。彼が敵としているのはライアーゲーム事務局だけど、ルール策定者とルール内で戦ってもぜったいに勝てないと思うんだ……。現に今回は(いままではなかった)事務局のアンフェアを感じたぞ。どうするの? それに、事務局の目的が金だとも私は思わないんだよなあ。だって、やってることがみょうに……趣味的っていうか。楽しそうじゃないですか(え?)。
あと、ナオについてもう一点。彼女はひとを信じるのが得意であるゆえに、他の人がひとを信じられない、っていうのが、あんまり、「わかってない」、気がします……。

※画像はイメージです(何の)。