クワコー的なる概念

というわけで、奥泉光ゆるキャラの恐怖 桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活3』(ISBN:9784163909967)、読み終わりました。癒し系。いや、オビには「脱力系ミステリー」って書いてあります。
こう、生きていてだいじょうぶ、って気分になりますよ……。

「でもでもでも、ウスゲマンと島木冬恒、どっちがセメなのかな?」
「それはウスゲマンだろう」
「断然ウスゲマンだよ。下克上パターン」
「島木冬恒のオヤジウケ」
「ウスゲマンの敬語セメが炸裂」
「やっぱそうなるか」
「それがまあ自然だよね」
「自然だね」
「自然、自然」
 自然という言葉は近代のはじまりに nature の訳語として採用された。その時点では、まさかこんな文脈で使われるとは自然も思っていなかっただろうなと、もはや遠い昔と思える大学生時代、自然主義文学をテーマに卒業論文を書いたクワコーは考えつつ、男二人で研究室に籠ると聞いた瞬間にBLが当然のように前提されるあたり、さすがはたらちね文芸部だと、あらためて納得していると、ギャル早田が、ちょっと見にいってみる? といい出したからあわてた。

早くもクワコーはキノコ者に特有の秘密主義を自分のものにしつつあった。この種のケチな精神はクワコー生来のものであり、その意味で、キノコを採るために生まれてきた人間であるとしてあながち的外れではないのであった。

しかし、クワコー先生の日常がゆるいかっていったら、まったくそんなことはなくけっこうハードなのであった。まったく真似はできない。っていうかセミは食べたくない。