あなたの気持ちがわからないこと

昨日、

その人のそのときの気持ちと、同じ気持ちになるわけじゃない。

と書いたのは、次の文章が影響している。

それでもあえて理由を問われれば、「同じ人間だから」と答える。同じ人間なんだから、同じように感じるはずだ。他人の感情を知るには、ここを出発点にしない限りどうしようもない。

もちろん、同じように感じないこともある。しかし、それは「例外」である。 例外とはつまり、感じ方の違いには特別な理由があるということだ。それは経験の違いだったり、個性だったりする。しかし、その理由を知れば、双方とも同じ原理に基づいていることがわかる。それによって、違っているように見えるところでも、より深いところは同じであることを発見する。

たまに、この「同じ人間だから、同じように感じるはずだ」という原則を認めない人がいる。自分の感じたことを一般的だと思うことができない。そういう人は、他人の感情を考えることはできない。「原理的に不可能」で終わってしまう。感じ方に違いがあった時には、「人間は誰しも感じ方が違って当たり前」 で終わってしまう。そこで終わってしまうために、そこから先へ進むことができない。

人が言ったことを正しいとも間違っているとも思わないのは、わからないのと同じである。わからないのにそれ以上何もしないのは、無視である。つまり、「感じ方は人それぞれだから」というのは、相手の言ったことを無視したのと同じである。時には無視も必要ではあるが、無視であることは自覚しろ。

一ヶ月くらい前に読んだのですけど、どうもひっかかる。ので、ときどき考えてた。
私は「同じ人間なんだから」という原則を認めない人です。……いや、違うな、ほんとうにその原則を認めていなければ一歩外を歩くのにも危険を感じるだろうから、その原則は認めているが、他人のほんとうのところなどいくら想像してもわからないと思っている、そして自分(の感じ方)が一般的だと思っていない人間です。その上で考えてたのですけど、やっぱり人の気持ちなんかわからない、と思う。私には人の気持ちがわからない。そして他の人だってその他の誰かの気持ちはわからない。そう思う。「気持ちがわかる」の定義にもよるのだけれど……
人の気持ちがわかるということは、その人と同じ感情を持つこと。けれど、どんなに想像したってそれは「私」の気持ちでしかない。誰かの気持ちを想像している、「私」の気持ちでしかない。たとえ同じ経験をしていても、その気持ちを説明してもらっても、同じ感情を持てるわけではない。違う人間だからだ。
たとえば、ここに恋人を突然亡くしてしまった女性がいるとします。彼女は悲しんでいる、とします。そして彼女の身に起こったことを知った「あなた」が「彼女は悲しんでいるのだろう」と思う。当たっている。しかし、それでは彼女の気持ちがわかったことにはならないし、じつは彼女の気持ちを想像してさえいない。想像なんかしなくたって「彼女は悲しんでいる」と思うくらいできる。それは「愛する人を亡くしたとき人は悲しむものだ」ということ(常識?)を知っているから。その法則を当てはめているだけだ。彼女が泣いていれば一層わかりやすく同情できるだろう。しかし、想像はしていない。自分が彼女だったらと仮定したり、自分が誰かを亡くしたときを思い出したりして、悲しいと感じる(しかし悲しいと感じないかもしれない)――そういうのが想像するという。それでもそれは「あなた」の気持ちでしかない。彼女の性格や考え方だとしたらどうなんだろう、と想像してみても、「あなた」は彼女じゃないから、わからない。……わからない。
まあ、私も、人の文章を読んだりしたときに、「それはわかる」と思っちゃったりすることがありますけどー、それは心地よいことでもあるのだけれど、錯覚だよ。


しかし。
「人の感じていることがわからないと思うこと」と、「人の言っていることが正しいとも間違っているとも思わないこと」は、違います。