金沢蓄音器館

はじめて行った。おもしろうございました。
蓄音器の聴き比べ実演があって、職員のおじさんが、解説しながら音楽を流してくれるのです。かんたんに仕組みも話してくれたのですが、ふんふん、と聞き流しておいて、ちょっと経ってから、あっ、これって機械仕掛け、からくりなんだ、電気仕掛けじゃないんだ、と、理解して、びっくりした。電気仕掛けなものに馴れすぎているんだな。電気も機械も苦手分野だけど! なので、溝を刻んで録音して、溝をなぞって再生する、という、仕組みも、あんまり腑に落ちていません……。というか、これは、音とはなにか、というのを理解していないのか。波なのは知っている、けど、理解はしていない。いや、うーん、波だといわれると、海の波を思い浮かべるけど、その性質が波、ということだから、一種の比喩というか見立てというか。波だといわれてそのまま納得するところじゃないんだろうな。たぶん。オシロスコープに映った波形も思い浮かべることはできるけれども……。

(写真は石川四高記念文化交流館のもの。)(写真は撮ってよかったんだか悪かったんだか、カメラに×マークの撮影禁止のあれもあったけど、記念撮影いいよ、とも、おじさんは言っていた、ような。)(ラッパは内蔵されているタイプと外出しのタイプがある。)
ちなみに音量調節をするからくりはついていない、というか、ラッパが内蔵されている扉を閉じる、とか、蓄音器全体を布で覆う、とか、そういう方法になるそうです。というか、ラッパをとっても音が鳴る、ということ自体、意外に思ってしまった。うん、ほんとうに仕組みを理解していない。
当初は、音楽ではなく、声を記録する用途を想定していたそうで。嗜好品ではなく実用品。
前に、現代では生の楽器の音、生の音楽は贅沢品だけれども、昔は生しかなかったのだよな、と思い至って、不思議に感じたことがある。その間に、音楽の再生機械がすっごく高価な時代があったわけですが。
実用のためでなく、娯楽のものだったから、蓄音器をはじめとする音楽再生機械は発達し普及したのかもしれないけれど、むしろ、ただの娯楽、ではなかったから、発達し普及したのかもしれない。
いや、うん。
想像がおよばないな……。
蓄音器って、でかいやつはでかいし、高価なんだけれど、それでも、何人も、何十人もの演奏が、歌声が、いつでもそこから再生できるとなったら、一種の示威行為だな、と、思わないでもない。権威の示し方。違う政治形態の時代や国で発明されていたら、もっと違った使われ方をしたのかもしれない。いや、実際に何十人も集めて演奏させることのほうが難しい、ともいえるので、完全な独裁政権では、無用のものなんだろうけど。ただ、蓄音器の発想を得るのに、そして実際につくるのには、何十人どころではない、知識と技術の継承がある。歴史として残っている発明者の名前がエジソンひとりだとしても。その背景を想像できるならば、仕組みのあるからくりの箱として蓄音器をひけらかすのは、たしかに示威なのだ。仕組みのない、あるいはわからない、魔法の箱とするよりも。人間の楽団を並べるよりも。

実演は11時、14時、16時からの三回なので、時間を合わせて行くことをおすすめいたします。私が行ったときは10人ぐらいいて、意外と多いな、と思った。
日曜日には自動演奏ピアノの実演もあるらしいので、また行く。

……なんだか年齢詐称した気分だな? 小さい頃はCDなかった世代ですよ。レコードありましたよ。通過儀礼的なあれ(どれ?)で、買ってもらったこともあるはず。でもおぼえてない……。