見渡す限り

昨日、机を50cmほど左にずらしたら、ちょっと暗い。模様替え……というかなんというか。パソコンを机の右端に移動させれば済むのですが、いろいろどかさねばならん。天板が80cm×160cmというでかい机なので(テーブルじゃないのかっていわれそうだけど、デスクって書いてあったし机なのです)、余地はあるのですが。やらなくちゃといっているうちにこの暗さに慣れそうだ。よくない。

しかし、まあ、たかだか50cmの違いでずいぶん景色が変わるものです。机を見る景色も、机から見える景色も。生活空間って、なかなかに繊細な(?)バランスで成り立っているものである。
建物が取り壊されて更地になると、あれっ狭い?って思う。で、工事がはじまると、こんな狭いところに建つのかな、って思う。でも建ち上がってしまうと、あらまあ、立派な建物が、と思う。この見え方の違いってなんなんだろうな、と、考えている。
岡山城で、かつて屋敷があった地面に、実物大(たぶん)の間取りが描かれていて、なんだか狭く見えるけど、実際、建ってたときは広かったんだろうな、と思ったのですよね。なんで写真撮ってないかな……。で、そのときから、この疑問を頭の隅においている。
土地の用途によって、広い狭いの基準を無意識に切り替えているのかとも思ったんだけど、なんか違う。
広い狭いというのは、面じゃなくて空間なんだけれど、ついつい面で考えてしまうほど、高さ方向を認識しづらい、とでもいうか。壁があって、はじめて空間になる。壁じゃなくて柱でもじゅうぶんなのかもしれない。仕切られたほうが広く感じるというのもへんな話だ。
……ううむ、まだ考えとく。
砂丘に行きたい。