発見と発明

ビタミンの発見は、十九世紀のタンパク質や炭水化物と同じような力で、欧米における食べ物の学説に影響を与えた。ビタミンは発見ではなく発明と呼んでもいいほどのものだ。
フェリペフェルナンデス=アルメスト『食べる人類誌―火の発見からファーストフードの蔓延まで』(ISBN:9784150503673

 ある意味これは形而上学的な疑問である。理論が描き出す全体像は、我々が発見した文字どおりの現実としてとらえるべきなのか、それとも我々が発明した単なるモデルであって、たとえば我々と違うふうに考える人(または宇宙人)ならそれとは別の形でモデル化することもできるのか? しかし哲学を脇に置いておいても、発明と発見のあいだには、プロセスに関係したまた別の違いがある。発見は探求によって、ときに偶然によって成し遂げられるが、発明は計画された構想と積み重ねを通じておこなわれ、偶然の果たす役割は試行錯誤の場合よりも小さいのだ。
レナード・ムロディナウ『この世界を知るための人類と科学の400万年史』(ISBN:9784309253473

「あのな、多田ちゃんはあんなだけど、まああんなでもさ、妖怪研究家という商売を開発したというか、発明したんだよ。あんなだけどさ。一人しかいないんだよ世界に。宇宙に。あんなのは。大学の先生とか学芸員とか、そういう立派な人がね、それぞれの立場から妖怪的なものを研究しているのとは違うの。あれはああいう商売なんだよ。真似できないよあんなの」
京極夏彦『虚実妖怪百物語 序』(ISBN:9784041047767