大学に行っても

欧米(?)ではこんなに高等教育の授業料高くないとか、大学行ける境遇の人が限られてしまうのはよくないとか、って話は聞きかじってたので、よくないんじゃないかなあ、と、最初は思ったのですけど。
まあ、よくはないんだろうけど。
でも、我が身を振り返れば。まともに高等教育を受けててこの出来っすからねえ。出来、というのか。教育の恩恵を社会に還元してないし、するつもりもない。
まあ、この例からわかるのは、教育をきちんとすればよい人材が育つとは限らない、ということであって、教育をきちんとしなくてもよい人材が育つということも、きちんとしなければ育つということも、示してはおりませんが。
私はモラトリアム続行のために進学したのであって、勉強をしに行ったのではなかったですから。しかし、そのために借金(奨学金)したのだから、合理的な行動ではない。あとのことを考えてなかっただけとも言う。奨学金があったとはいえ、親の負担もかなりのものだったはずなんだけど、べつに、大学に行けとも行くなとも言われなかったなあ。地元にしろとは言われたけど。きょうだいのうちひとりぐらいは大学に行ってもいいか、ってノリだったんではないか(そうか?)。
ただ、もういっかい大学に行くならどういう学部のどういう学科か、って妄想することがあって、あんまり授業料高くされると妄想が醒めちゃうので、それはよくないな。……そういう理由か……。がっこうに行けば勉強できるようになる(←勉強することができるようになる、の意)、っていまだに(過剰に)期待するところがあるんだな……それこそ、学習してないな……。