あなたは17歳の頃に読んだ本について語れますか?

いや、まあ、17という数字にとくに意味はなくて、ま、あの頃は若かった……としみじみ思うような昔の頃、ということで。

というのも、久世光彦美の死―ぼくの感傷的読書 (ちくま文庫)』を読んだからで、書評とか文庫の解説とかを集めた本なんですけど(↑右の謎生物が読んでいる本)、この中でけっこう、昔読んだときの感想……っていうより、シチュエーションってほうが多いのかなあ、そういうのが語られてるんですね。5歳のときから、少年の頃、二十代の頃、三十代の頃……。で、よく語れるなあ、という感じがどうしてもしてしまうのです。
そう思う、ってことは、自分にはできないなー、って思ってるからなんだろうけど、それって、なんなのか……。恥ずかしいからやりたくない、のか、おぼえてないからできない、のか、語ることのほどが何もないからできない、のか……。
まあ、恥ずかしいな、うん、恥ずかしい。

――しかし、それにしても、恥ずかしいというのは、何と幸福で嬉しい気持ちなのだろう。

いやいや、「恥ずかしい」は「恥ずかしい」ですって。初々しいことを言う人だなあ! 「恥ずかしい」って、「恥ずかしいと感じること自体が恥ずかしい」っていうのをすでに含んでいることが多くないですか……。柳美里私語辞典』で、「恥ずかしいというのは自分では制御できないのでひとが何を恥ずかしいと思うかを知れば思うままに操れる」というような一節があって、これを読んだのがまさに十代の頃だったと思うんですけど、いまだにおぼえているっていうのが、……うーん、これ、すでに羞恥プレイか……。
じゃあ、ひとに見せないで書くとしたらどうか、って考えてみたんですけど、やっぱりその気になれん。ので、語るほどのことがないのか……語ることのほどがないのに何が恥ずかしいというのか……。自分が若かった、というのは、ただそれだけで恥ずかしいことなのか……。
まあ、書いてもおもしろくなさそうだ、という感じも、ある。私が。恥ずかしい抜かしても。たんなる思い出話にしかならない、というか。べつにいいじゃんたんなる思い出話で、とも思うけど。下手に「過去の自分」っていういまの自分じゃない人の代弁をしてしまうよりも。でもなー、うん、やっぱり、「語ることのほどが何もない」のか……。何を読んだかはおぼえていても、それで何を感じたのか、自分がどう変わったのか、は、わからない。語れない。