伝達の意味は伝達者である。

一昨日の赤レンガの建物は、石川県立歴史博物館だったんですが。

本願寺展をやっていたので、この間、東本願寺に行ったことだし、と思ってひょろっと入ってみました。とはいっても、通称・西本願寺の正式名が本願寺である、ということは、調べて知っていたので、そっちのことだろうとはわかってましたが。浄土真宗の中でも、派が違う、ということみたい。西が浄土真宗本願寺派で、東が真宗大谷派浄土真宗東本願寺派はまた別、という。よくわからん。
んで。
目が悪いもんで、説明文がさっぱり見えなかった……音声ガイド借りればよかった(でも500円だったんだ……)。
豆本が可愛かったです。いや、ちっちゃい……経典?なのか? 長辺7センチぐらいの。
本願寺の欄間とか襖とかがあったけど、これ、持ってきちゃったら本家のほうはいまどうなってるのか気になる。
……まあ、なんつーか、教義をさっぱり知らないわけで……「神」ってことばが出てきてたので、ああ、神がいるのか……って。
というか、別のことを考えてたんです。
序盤の看板に、「信仰の証として長い間受け継がれてきた」云々、というようなことが書かれてあったので、……。
スタニスワフ・レム虚数 (文学の冒険シリーズ)』の一編、「『GOLEM XIV』GOLEM就任講義――人間論三態」という、未来、コンピュータが人間にする講義の中で、彼――GOLEMというコンピュータが言うのです。

伝達者の意味は伝達である。

くわえて、とくに強調して、伝達の意味は伝達者である、とはならない、とも言っている。
けれども、最近、難波江和英・内田樹現代思想のパフォーマンス (光文社新書)』を読んでて、クロード・レヴィ=ストロースあたりの章で、たぶん、伝達の意味は伝達者である、っていうことを言ってたと思う、のです。難しくてよくわかんないんだけど、とりあえずの理解では。
私自身も、前に伝統について、続けること、つないでいくこと、それ自体が、目的って書いてて、内容はあまり重要ではない、っていう……伝達の意味は伝達者である、というようなことを言っていた。
なので、これらの展示品は、なんだろうな、と考えてたのです。なんで、いまここに、遺っているんだろう……。なんで、って……、たまたま、っていうものも、あるんだろうなあ、などとも思ったんですが。何百年も遺っているものに対して、たまたまってのはなんだ、って感じですけど、はじめは、意図して遺していこうとしたのではないもの、というのもあると思う。人間、古いものは捨てられるけど、すごく古いものは捨てられない。遺していけるもの、というのを探してて、すごく古いもの、っていうのは、それだけでさらに遺すだけの価値がある、って思いがちなんじゃないかな。
何かを遺したがる、っていうのは、つまり、自分は死ぬから、なんだろうけど、滅びる自分の代わりとして遺したがるのとは違って、……何か価値があるものを遺せるだけの自分、っていう、現在のために、遺したがるんじゃないかな、って、ちょっと思った。過去のためでもなく、未来のためでもなく、いまここにある自分を肯定するために、過去も未来もある。伝達の意味は伝達者である
けど、信仰がからむと、どうなのかなあ、……うーん。