たびにっき・そのさん

昨日にひきつづき、「トリノ・エジプト展」。

神様が祈りをきいてくれるように、神様の耳がよくなるように、耳を彫ったのがありました、が……。祈りをきいてくれますように、という願いは、誰がきいてくれるの?
これ、唯一神の宗教だったら、発生しない願いだよなあ。一神教だとたいてい、全知全能のような気がします。祈りをきいてくれない、なんてことはない。叶えてくれるかどうかは別として。
祈りと願いの違いについて――自分用メモに書いてあったのを発見して、そうなのか、と思った。

祈りは願いのその先にあるものかな……。信じれば、願いは叶う、……というものではない。それをわかった上での願いが、祈りとなるのかな。

で、展示のほうですが、説明文に、「祈りは神様がきいてくれなきゃ意味がない」ってはっきりと書いてあったのが、気になったのです。実在の神様をほんとうに信じていると、そんな風に思うもんなのかな。祈る先になにものもなくても、人は祈るだろう。
……ふと、あの耳はたんなる洒落だったんじゃないか、と、思ってしまったのですが……。ネタにマジレスしてる気分になってしまった。いやあ、古代エジプト人だって、受けを狙うことはあるよね。で、それがたまたま遺っちゃうこともあるよな。……他にも資料があって、それでマジだっていう結論になってるんだろうけどもー。

「……ねえマスター。願いと祈りと希望と欲望の違いって、なんだと思う?」

「同じだろ」
 柾季はウィッチボールをポケットにしまいながら言った。

「本質的には変わらない。ただ、自分の中の欲求を、どの言葉で定義するか――俺には、それを決める時の本人の精神状態の方が、重要だと思う」