明日はくる。

神様について。ここではわりとよく神様の話をしているので、よっぽど神様好きな人みたいだ。べ、べつに神様なんて好きじゃないんだからねっ!(←天罰どぎゃーん!)
最近私は神の定義をすごく広くとって、その上で神を信じずに――信じるっていうか、神を持たずに生きるっていうのはどういうことか、考えていた。どういう定義かっていうと――
世界が存在することにも、私が存在することにも、意味も理由もない。そのへんを引き受けてくれる存在、というか――違うな。ええと。
明日はきますよね。夜は明ける。
……
そこで、うん、と頷いた人は神様を持っています。
ってぐらいで考えてください。
……わからんって。
たいていの人は、明日はくる、と思っていると思います。余命わずかという人でも、自分の明日がこなくても世界は続いていく、という世界観を持っていると思う。明日がくると信じている――いや、わざわざ信じてなんかいない、たんに思っている――思ってさえいない、明日がこなかったらどうしようって不安になったりしていない、だけ。でも、そこに根拠はない。世界はこれまでもずっと続いてきたんだから、これからも続くだろう、って、それぐらいしかいえない。けど、根拠はないな、って認識したところで、ええっ、どうしようっ、とか慌てたりしないでしょう?(まれに、そのへんを揺るがすことができる人もいる、のだろうけど。) 慌てない。なんか知らないけど、だいじょうぶ。明日がこないかもしれない、と頭で疑うことはできても、心が疑うことはできない。明日がくる、っていう架空の根拠、が、神。神を信じているから明日がくると思える、というのじゃない、「信じて」じゃないんだ。神様が根拠をつくってくれるのでもなくて、根拠そのもの。
……自分で書いててわからなくなってきた……。たぶん、脳の話なんじゃないかな。そういう風にできてるんだ。だって、人間には未来を考えることができてしまうので。むやみに不安にならないようにっていう安全装置がついている。たぶん、他の動物は、未来を考えないだろう。過去はどうだか知らないけど。
小松左京の短編に「夜が明けたら」って話があって。タイトル通り、夜が明けない話なんですけど、それには理由がついてたんだったかな。忘れた。神の不在の話――というより、人の中の神が戸惑う話、になるのかな。そんなんなっても、神様はいなくなったりしない、から、困る、ともいえる。


わかんなくなってきたのでまた明日。か、明後日。明日はきても、私がこの続きを書く明日はこないかもしれないが。