人形

そういえば私、アトムをみたことがない! 読んだこともない! のですけど、アトムのあの顔はどれだけ人間なんだろう? どれだけ人間に近いんだろう? 人間そのものだったら違和感があって嘘っぽいけど、人間に近いなにか、が、人格と意志と感情をもって(いるように)行動してたら、ものすごくこわい。――いや、うん、ちょっと違う、うまくいえない。ロボットであって人間ではないことに価値があるはずなのに、ロボットであって人間ではないことをつきつけられたくはない、のかな。絵ってべんりだな。人間も、人間に近いなにか、も、おんなじなようにも、違うようにも、描ける。

「――正直に云えば、そこが悩ましいところなんだな。西洋のオートマタはまだしも人形を組み入れた大仕掛けとして理解できるんだけど、茶運び人形は誰が見てもそれ自体が人形です。云えるのは、人形ってきっと、彫刻やロボットや縫いぐるみみたいに実務的じゃない、物質性とは一線を画した、抽象度の高い概念なんですよ。じゃなかったら鉄腕アトムマジンガーZの人形なんて成立しえないでしょう――人型ロボットの人形――人間の形をした物の形をした愛玩物だなんて。アトム人形は、鉄腕アトムが人間ではないという事実を忘れ去ったところに成立している。あの中身が空っぽでも誰もがっかりしないのは、それが、しょせん身近には置きえない存在の、かたしろに過ぎないって本能的にわかっているからです」

「身代わりってこと?」

「たぶんね。だから人形という確固たる物体でありながら、まるで手が届かないようで、見てると切なくなる。その向こうにあるものを、みな思い出そうとする。心の底の原風景のようなもの。ゆえにそれが勝手に動きだすホラーは怖い。自分の無意識が顕在化したかのような、自分で自分を制御できない――ひらたく云えば自分が狂ってしまったような感覚におちいるからです」