心の信用、行動の信用

(↑原文ママ。)
経過をみていたのですが、案の定、質問者自身が回答をひとつも開くことなく、時間切れ自動終了となりました(けど、自動終了となったときに開く回答にこの回答で満足!がつくのは紛らわしいのでなんとかならないのか)。そういうわけであとの回答を開きました。
それにしても、あとの方になれば「回答開かないのでは」というのがわかりそうなものなのに(質問内容からいっても)、どうして回答するんでしょうか。


ひとつには、「信用」のレベルによる。
ほんとうにまったく人を信用できないとなると日常生活に支障が出ます。自動車は赤信号で止まる、郵便は届く、店員はつり銭を間違えない、警官は何もしてないのに警棒で襲いかかってきたりしない、――そういうレベルで信用できないとなるとこれは困る。というかそういうのは病気なんでしょう。
もうひとつは、「信用」の種類。心を信じることと、行いを信じること。
相手が自分に対して悪意や害意を持っていないこと、と、相手が自分に対して親切だったり助けてくれたりすること、は、別だと考えています。詐欺に遭わないように気をつけるときに考えるのは、後者の信用です。
麻生みこと『GO!ヒロミGO!』の7巻を読んだときに、ヒロミちゃんのおねーさんのゆかりさん、すごく人を信用しない人だな、と思いました。お父さんのことを信用していないし期待もしていない。まあ、それは親父の自業自得だったりもするんですが、妹のことも信用していない。これはヒロミちゃんの姉に対する好意や力になりたいっていう気持ちを信用していないわけじゃなくて、その好意が自分にとって役に立たない、そして秘密を守る能力がないと判断した、というわけなのでした(その判断は正しいと私も思う……)。いや、私はゆかりさん、好きですけど。
自分に好意を持ってくれているからといって、自分のためになる行動をしてくれるとは限らない。
自分のためになる行動をしてくれるからといって、自分に好意をもってくれているとは限らない。


……時間切れ、残りはあとで。