読む快楽

花村萬月が雑誌『Cobalt』の短編小説賞の選考委員をやってまして、花村萬月が!コバルト!ということで、ほぼ毎回、選評だけを立ち読みしていたりします。
おもしろい。
ふつうの選評では、ストーリーとかテーマについて語っていることが多いような気がするのですが、花村萬月のは、「文章」について、「ことば」について、語っていることが多い。
削れ、と。この「何々は」は文脈からわかることなんだからいちいち書くな、とか。
書き流すな、と。慣用表現をなんの疑念も持たずにそのまんま書くな。漢字の変換を機械に任せるな。
自分の身体にみあった、実感のあることばを。
艶のある、強くひびくことばを、
磨け――
と、いうようなことを、何度も書いていた、と思う(手元にないので。私はそう読みとった、ということです)。
「伝える」ために、ことばを磨く。ということもあるのだろうけれど、それよりも、「読むということ自体の快感」のため、が大きいような気がしたのでした。

 言語には力がある。
 それを用いる者が、自身の言葉に一切の疑念をもたなければ、つまり言葉を信じていれば、そこには途轍もない力が宿るのだ。

だが、預言者の言葉が荒唐無稽でなかったことがあるか。預言は成就されるのが目的ではない。言葉が発せられること自体が目的なのだ。

私は「小説の文章」を書くことができなくて。書こうと試みたことはあるのですけど、どうにも不自然、借り物くさい、ぎこちない文章にしかならないのです。何よりも、自分で書いていておもしろくない。まあ、小説を書けないのは、小説で書きたいことがあるわけでもないのでいいのですけど、それでもたとえ話とか比喩とかはもっとうまくなりたい、と思う。あと、タイトルをつけるセンス。どうも私は「そのまんま」にしか書かないな。


大森望と豊粼由美の『文学賞メッタ斬り!』を読んだときにも思いましたが、選評だけを集めた本っていうの、つくってくれないですかね。選評っておもしろい。読むことと書くこと、両方の力量がもろに出る。


ブログ文章論が流行ってるらしく、いろいろ読んで考えたのでいっちょ書いてみるかと思ったらぜんぜん違うとこにすっ飛んでった例。……。