りんご好きの死神

デスノートアンケートの結果が出ましたね。

デスノート(DEATH NOTE 原作大場つぐみ 漫画小畑健)(漫画)読者にマジで、尋ねます。マジで、考えてください。

もし、以下の5つの条件が成り立つと仮定して…

1,デスノートや類する道具があり
2,主人公ライトのような「世の中を悪人のいない、善人が住みやすい世界にする」という目的を果たすため
3,同じくライトのように、並外れた頭脳を持っている人のみが
4,強盗・殺人・放火・累犯窃盗など、凶悪犯罪者と考えられる(起訴済み or 指名手配されている)人間
5,上記1の道具で、4のような人間の生命を奪う行為について

次の、1か2について、どちらかといえばどちらの考えですか。

1,極悪人は、改心可能性が低く、再犯の可能性が高く、仲間を犯罪に巻き込みやすいこと。他方、他の人間に対する犯罪抑止力があるのは確かなので、許される場合はある。

2、法治国家であるならば、上記による「私刑(私人による刑」は例外なく許されない。また、上記行為が許されると、その道具を持たない人も「凶悪犯罪者らしい」人に「私刑」を加え、社会の秩序が乱れるので、いかなる条件であっても許されない。

私は善人じゃないので嫌です。
……殺されるほどの極悪人ではないと思いますけど、たとえば極悪人を殺そうってときに、巻き添えになって死んじゃったとしてもかまわないよね、とか判断されて見殺しにされそうだ。私は「善人が住みやすい世界」に必要な人間ではないし、「善人が住みやすい世界」は私が住みやすい世界じゃないだろうし。法治国家関係ないー。
というか、私が同じ質問をしようとすると、こうなる。

凶悪犯罪者を私人が殺傷する行為を許しますか?

  • はい
  • いいえ

これだけ。
……。
デスノートどこいったー。
つまり、デスノートの存在はこの質問のキモではない、というのが私の判断ですよ。だってあれは、たんに強力な武器にすぎないから。人を殺せる道具だったらなんだって同じ。拳銃でも青酸カリでも鉈でもミサイルでもいいんですよ。相手が凶悪犯罪者(だと言われている人)であれば、それ使って殺してもいいのか、ということ。作中の死神も、いわゆる「神」ではないですから。「神」が人を選んで道具を与えているわけではない。
あと、「許される」「許されない」とか言われると、「許すのは誰?」とつっこみたくなる。
あ、そうだ、こういう訊き方はどうだろう。

凶悪犯罪者を殺したいですか?

……私としてはそんなに意味違わないつもりなのですが。……違うか。違うんだろう。


DEATH NOTE』は9巻までしか読んでませんが。
自分の感想を読み返してたら、1巻を読んだときにこう書いてた。

世の中をよくするという目的のもとに人を殺すことを正当化するなら、保身のために人を殺してはならない。

……ライト、いつまで経ってもこういうところで葛藤しないっすね。なんでだー、と思ってましたけど、考えてみればこの人、退屈だからこういうこと始めたんですよ。だから目的は世の中をよくすることじゃない。「新世界の神になる」とかいうのも、このゲームのゴール設定ってだけです。神様になっちゃったらまた退屈になって、その世界を壊すことをやるんだろう。
6巻感想より。

なぜ、自分が全知全能ではないのだということを、実感せずにいられるのか――不思議というか不可解というか――不気味というか。

……ところでリュークがりんごを食べてるのを見ると和むのは私だけでしょうか。


デスノート」のルールのあり方については、この前に書いた世界の法則とか因果律とかを考えるヒントになりそうな気がします。その煩雑さ――煩雑に感じるというのは、なんなのか、というあたりが。