心中と集団自殺の違い

……を、考えていたのですが。
家族とか恋人とか、親しい間柄なのが心中で、そうじゃないのが集団自殺、というのはわかるけど、もっと他に言い様がないかと思って……。
で。

  • 「その人といっしょでないと死ねない」のが心中
  • 「いっしょに死んでくれるなら誰でもいい」のが集団自殺

というのはどうだろう。
……しかし一般的に2人なんていう小人数だと集団自殺とはいわないような……。

  • 「死ぬ動機が共通している」のが心中
  • 「死ぬ動機がそれぞれ別」なのが集団自殺

……宗教のは集団自殺って呼びますよね。友達同士ってのもびみょう(っていうか、あんまり聞かない?)。
いずれにしても、本人たちにしかわからないのかも。本人たちの間でも齟齬があったりして。一方が心中だと思っていて、他方では集団自殺だと思っていたりしたら……ちょっと、なんだな。むなしいってか。

家族や恋愛関係にある男女が揃って自殺を図る場合は心中と言い、集団自殺とは分けられることが多いが、前述の社会問題となった各種事件の一部には家族関係・恋愛関係がないにもかかわらず心中に近い要因のものもある。

でもたいていは、心中だと思っているのかもしれない、だって心中のがまだ美しいイメージがあるから。……死ぬときにまでそんな見栄があるのか。見栄?
けど、心中は自殺教唆を含む場合がほとんどだろう。→自殺関与・同意殺人罪 - Wikipedia
というかむしろ無理心中が多いのか。無理心中ってのはつまり殺人&自殺なわけで。……美しくないなあ(←美醜の問題かっ)。
…………いや、うーん、美醜を考えるなら、「いっしょに死ぬ」ことに意味があると思うこと――いや、それ以前に「いっしょに死ねる」と思うこと自体が、美しくない。私基準では。
……。
なんの話かなー……。