殺してしまった、そのあとは?

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高瀬美恵の「クシアラータの覇王」というシリーズで、「ひとり殺したらひとり産めばいい」ってすごいこと言った人がいたな、と、思い出した。手元にないので例によって私のたいへんあてにならない記憶に頼って書きますけど。それを聞いた主人公の女の子は、「でも百人産むことはできないじゃないか」って反論します。実際に彼女は百人以上殺しているので(いま思うと、少女小説の主人公が殺人鬼ってどうなのだ……)。で、反論されたほうは、ひとり殺してて、師匠のような(?)女の人に「ひとり産めば」って言われて産んだっていうおばちゃんなのです。尼僧?だったか、でもまあ、おばちゃんです。女の子が殺したのがそんなたくさんだったとは知らなくて、「えー、こわいよぅ」とかぬかして女の子逆ギレ、……という、感じだったと、思うんだけど……。
人を殺してはいけない、というのは、よしとしよう(いいのか)。で、その上で、人を殺してしまったとしたら、どうすればいいのか? 殺してしまったらとりかえしがつかないから、というのが、禁止の理由として挙げられることがあるけど、そうだとしたら何をどうしたって償うことはできない。自殺したところで償いにはならない。けど、社会が成り立たないから、が、禁止の理由だとしたら、その社会が認める償いの手続きを済ませれば、それでおっけー、ってことになる。現代日本なら、裁判を経て刑務所に何年か入ればいい(ひとり殺したくらいでは死刑にならないですよね)。……えー、禁止の理由によるの?

あなたがたは、ご自分の趣味に合った悪徳を許したり、体裁のいい犯罪を大目に見たりしながら、桜草の咲きこぼれる歓楽の道をずんずんお歩きになるがよい。われわれを夜の吸血鬼のように闇の中に置きざりになさるがよい。そうすればわれわれは本当に慰めを必要とする人たちを慰めます。この人たちは本当に申し開きの立たぬことをしているのです。本人も世間も弁解の言葉を知らぬようなことをしているのです。それが許せるのは司祭以外にはないのです。卑劣な、唾棄すべき、本当の罪を犯した人たちをわれわれに残してください。