相手に自分の頭の出来を見出すというこれもまた「鏡の法則」ですか

昨日、「頭がいい」の演出について2行だけ書いたのですが↓

難しい込み入った状況でどう問題を解決するか、だと、私にはわからないけど頭のいい人ならわかるんだろうな、と思うけれど、シンプルな状況でエレガントな解答を見せられると、頭いい!と思う。
「頭がいいこと」、を、みせるのか、「頭のよさ」を、みせるのか。

自分との関係とかその人の伝達能力とかぜんぜん頭になかったので、

相手の頭の良さを感じるのが会話をしている時だから、「頭が良い」というのが、相手のことを理解して会話しているかどうか?にしぼられているという。

ああ、そうかっ、と思った。一昨日の『DEATH NOTE』感想の流れで考えてた「描き方」の話だったので、「自分」が出てこなくて当然ともいえますが。
フィクション……に限らず、実話だろうと、お話であるならば、思考の動きを解説して頭のよさを語ってくれるので、本人に会話能力がなかろうと自分の頭が多少悪かろうと、伝わる。
あれだ、「名探偵は変人だから助手が必要」理論。
変人だけど頭がいい人、を理解できる(他の人には理解できなくても!)、と思うことによって、自分も頭がよくなった気分になれます。