性格



もう、なー。義理堅いわけでも責任感が強いわけでもない(むしろめちゃくちゃない)くせに、こういう行動にでるのは、どういう動機なわけ? わからん。
……と、いうと、義理堅くないとか責任感がないとかいうのが謙遜のようにきこえる罠。
しかしまあ、実際には、謙遜なんかじゃない。というか、私は謙遜はしません、しないようにしている。褒められたら「そんなことありません」って言うより、にっこり笑って「ありがとう」と優雅に言えるひとになりたいです(って、前に書いたっけ?)。
で、義理堅くなりたいわけでも責任感強くなりたいわけでもないのです。
やさしいわけでも親切なわけでもない。
困ってる人をほっとけない性分ってわけでもない。
めぐりめぐって自分のためになるだろうという利己心だってほうが納得できるけど。そこまで先のことは考えません。
……ふう。
なんだろうな。
最近、考えるんだけど。ふだん「性格」だって思ってる性格って、心のありようのことじゃないんだよなあ。たぶん。
行動と、あと、カオなんですよ。
で、行動を決める要素で、頭の良し悪しってのがあって。というのも、「この人の『性格が悪い』と観察される行動のいくらかは、『性格が悪い』というより『頭が悪い』んじゃなかろうか」、と、見直した人がいたからなんだけど(「人を見直す」ってふつう、上方修正することだよな。これは上方なのか下方なのか)。いやいや、性格の良し悪しと頭の良し悪しが相関関係になるってのでもなく。「考えなしに人を怒らせる」人と、「考えなしに人を喜ばせる」人っているだろうし。ただ、その、私が「見直した」人ってのが、いままで、悪意があって、わざと私がむかつくようなことをやってるんだと思ってたけど、そうじゃないらしい――いま私はむかついたけど、この人に悪意はなさそうだ、というよりむしろ機嫌がよさそうで冗談を言ったつもりらしい、と観察される行動をとったりしたので。
とはいえ、ほんとのとこ、どういうつもりなのかは、本人じゃないので知らないけど。
逆に、「頭が悪い」と言ったとき、人格について言っていると思われる場合もあるな。というか、たいていの人は人格を罵倒している、と解釈するような。「頭が悪い」とか「バカ」って、そんなに、「頭が悪い」って意味で使わない気がする。
カオ。カオってなんだ。
いや、この、謎生物、たいていは私が思ってることをそのまま言ってるだけなのに、性格が違うのはなんでなんだ……と、疑問に思ってたら、「カオが違うんだよ!」って言うんですよ。「ぼくは可愛いもん!」って言うんですよ。可愛くないですねまったく!
というわけで、自分の性格ってものは、自分じゃわからない、のだ。自分のカオは自分じゃ見えないもんな。自分では、自分の気持ちはわかる(……わかんないときもある)けど、カオは見えない。他人からは、気持ちはわからないけどカオは見える。「性格」って後者の状態での観察結果なのだ。ふつうは。
……だからって私は義理堅くも真面目でもないっすよ!