けっきょく腹痛の原因はわからなかったんですけどね。

で、つまり因果律なんですけど(唐突な書き出し)。
人間の思考は普遍へ向かう。ものごとを抽象的に考え、一般化し、法則を見出す。導き出された法則から、特殊化し、具体的な道具をつくる。世界のたくさんの複雑なものごとを、すべて知覚し、理解し、適応することはできないから、情報を効率的に圧縮する必要がある。その方法が、法則を見出しあてはめることであり、つまり、ものごとには原因があって結果がある、という考え方だ。
原因があって結果がある。人間がこの世界を生き延びる武器となる考え方だ。このために人は未来を予測し、未来をつくる。
ただ、生存に有利だというだけでなく、原因を求めなくていいことにまで原因を求めたり、対処法がわからなくてもただ原因があるというだけで――ここは法則に従った世界だと思えるだけで安心する、というところもあるような気がする。私はたぶん、そうだ。前に「信仰」というタイトルの夢っぽい話を書きました。こういうのに注釈をつけるのも野暮っぽいなあと思って書きっぱなしでほっといたのですけど、野暮な注釈をつけると、腹がいてえ〜と唸りながら夢うつつになってたときに見た夢、ではなくて、そのときに見た夢は起きたときには忘れてたのでその前に見た夢をもとにてきとうにつくったんですけど、とにかく、原因はあるんだからだいじょうぶ、と、つよくかたくなに思っていたらしいのだった。その気持ちだけおぼえてる。そう思い込もうとしてたのかもしれないけど。起きたときには腹痛は治まってて、なので痛かったことも忘れてて、思い出したときには自分でつっこんだけど。もし自然治癒するようなものじゃなかったら、原因があって、それがわかって、治療法が存在してて、治療できる医師がいて設備があって、それが時間内にできて、それではじめて治るんだって! 原因がある、という確信だけじゃなんにもならないんだって! けど、夢のなかの私はそれでいいらしいのだった。我ながら感心したので「信仰」と名付けたのでした。起きてるときの私は、世界の中に私がいるのではなく、私の中に世界があるのだと思っているからな。でも、あのときは、因果が巡る大いなる世界の一部である、ということに、安らいでいた。殊勝だなあ、寝てるときのがまともじゃないっすか。本性がそれだったらいいねえ(よくないけど)。