なんで「血のつながり」なんだろう?

なんで、「血」?
血縁、血族、血のつながり。親から子へ受け継がれるもの、遺伝、似させるようにさせるもの、媒介するもの、……それがなぜ、「血」なのだろう?
血、って、誰だって赤いでしょう。「血がつながって」ようがなかろうが、見分けはつかない。肉をたくさん食べる人と食べない人とではさらさら具合が違うと聞いたことがあるような気はするけど。けど、「血縁」を感じさせるものなら、まず真っ先に「顔」でしょう。それに、肌の色髪の色瞳の色。あるいは性格や嗜好。なんで、「肌色のつながり」とか「髪の縮れ具合つながり」とか「顔つながり」とか「好きものつながり」じゃないんだろう? 「顔がつながってる」。……あれー?? いろんなあれこれを総称するものとして、いつもは目に見えない、でもたしかにからだじゅうを巡る、流れが止まれば死んでしまうもの、ということで、「血」なんだろうか。でも、その血を巡らせている根源は心臓なんだから、「心の臓つながり」でもいいじゃないですか(なんかイヤだ)。
やっぱり、流れるもの、液体である、っていうのがポイントかなあ。時が流れる、というのと、呼応する。時の流れとともに、祖先から「私」へ、「私」から子孫へと、流れてゆく、なにか。
いまではもう、「血がつながって」いるわけではない、「血」でつながっているのではないらしい、と、わかっているわけですが――それでもいまだに、「血」だと思っているような気がする。私自身の実感として、「血」なんだ。「血がつながっている」をどう言い換えればいいのかわからなくてさっきから書きづらくてしょうがないぞ。血液型性格判断が廃れない、というのも、そのへんじゃないかな。
しかしこれは、万国共通の感覚? でもないような?