価値あるものだけを集めることは原理的にできない

タイトルだけ。
……てゆーのもアレなので。
ネットを見てて、1000のエントリのうち、自分がおもしろいと思ったエントリが100だとする。
じゃあ、最初からそのおもしろい100エントリだけ見られるようにフィルタをかければよい、か、というと。
「おもしろい100エントリ」だけを見たとすると、おもしろいと評価するのはそのうちの10エントリだけだったりする。
それで、「とてもおもしろい10エントリ」だけをはじめに見たとすると、そのときにおもしろいと感じるのは1エントリだけ、になる。
と、いうのが、スタージョンの法則なんである。
自分の知っている範囲で、おもしろいのは、いつだって、1割だけ。と、ゆーふうに、ひとが、勝手に、認識する、と。
いやたぶんスタージョンさんはそんなことを言ったのではないだろうが。
まあ……、で、どうしましょうか。
どうバランスをとるか、なんだけど。
フィルタを強く厚くしていくと、厳選されたものばっかり見られて、そのなかでさらによいものを見る目が養われるかも……だけど、量は少なくなるし、うっかり、自分がフィルタをかけてることを忘れると、世の中つまんないもんばっかり、って勘違いしてしまいそう。
質より量、で、あまいフィルタにしておくと、おもしろいもんいっぱいでよろしいんだけど、いっぱいすぎて時間がとられすぎて溺れるし、まあ、つまんないものもいっぱいだったりする。
どっちにしても、つまんないものがあるのは当たり前、なのだ。
世の中がつまんないのでも、自分の選択が誤っていたのでもなくて、そういうもんなのだ。
と、思ってれば、そう気にもならないのではないかな。
けど、つまらないものって、おもしろいんだよ。見方を変えると。なんで自分はつまらなく感じるんだろうっていうのがおもしろいし、自分がつまらないものをおもしろがる人たちがいることがおもしろい。わからないのって、おもしろい。
いや、うん、ときどき間違えるんだけど。そのへん。
文章を読んで、不愉快になることがあっても、それってほんとうに不愉快なんじゃなかったりする。わからない、っていう戸惑い、こんがらがった感じが、不快感……というか不愉快感と誤認されてたりする。自分で自分の気持ちを勘違いする。なので、ちゃんと自分の気持ちを観察すると、べつに、不愉快なんじゃない、困惑しているだけだ、ってわかるし、そこがわかると、その困惑は、おもしろい。……そりゃ、私がどっか鈍いのか……。
……わからないことはわかるようにしよう、という方向へ好奇心が向かえば、もっと、私、ねえ……。まあ、いいけど。
じゃあ、ほんとうに不愉快なものに接したときは?
回れ右して、見なかったことにする。
……うん、まあ、穏便に。不愉快なだけだったらね、そのまま忘れる。
そのまま忘れられなくて、不愉快なだけじゃないなにかが残ったら、なにか、書く……かなあ。そのへんは、ほら、温和で人畜無害な人を装ってるから(←つっこむところ)。
……えーと、なんの話だったっけ……世界はおもしろいもんばっかりで困る、という話。……はじめと言ってること違うよ?