「はい」
「? デイヴィッド・プロッツ『ジーニアス・ファクトリー』? なにこれ」
「えっとね、これについて語れという中の人からのお達し」
「自分で語れよなー」
「なんかわかんなくなっちゃったんだって。で、君らが賢げに語れと」
「なんでそういう原理的に無理なことを言いますかあのひとは」
「原理的に無茶な構造してるんじゃないの頭が」
「で、これ、おもしろい?」
「おもしろいおもしろいおもしろい、だから読め、読んで語りたまえ」
「どうおもしろいのか語ってほしいなー」
「ええー、まあ、副題のとおりですよ、『「ノーベル賞受賞者精子バンク」の奇妙な物語』」
「アメリカ?」
「うん、アメリカ」
「そうだね、アメリカっぽいね」
「で、それをつくったロバート・グラハムって人がこれまたアメリカ人なんだ」
「アメリカ人なんだ……」
「うん、天才萌えなんだよ、それで、人類という種の進化をひたすら信じてとにかく実行あるのみー、みたいな」
「みたいな。っていうか、萌え?」
「いや、萌えとも違うんだけどなー、とにかく天才が好きなの、天才に心酔するのが大好きなの」
「そうか、大好きなことを思いっきりやったんだねえ、幸せ者なんだねえ」
「そこ、結論言わない!」
「えっ、これ結論なの?」
「違うよ何いってんの。で、天才好きだから凡才きらいなのさ」
「ええー、それはきらいなもののほうが、世の中には多いのではー」
「そうー、だから、減らそうとしたの」
「ぎゃ、ぎゃくさつ?」
「おそろしい子! 違う! 好きなものを増やして、相対的に減らそうってこと!」
「それで「ノーベル賞受賞者精子バンク」?」
「それは通称で、ほんとうは『レポジトリー・フォー・ジャーミナル・チョイス』っていうんだけどね。天才はいっぱい子どもをつくれってことですな」
「で、天才の子どもは天才?」
「さあー、どうなんだろう、っていうかけっきょく、そこからノーベル賞受賞者の子どもはひとりも生まれてないんだよ」
「さ、詐欺?」
「いや、三人のノーベル賞受賞者の精子があったことはたしからしい。けど、生まれなかった。高齢だからかな」
「だ、だめじゃん……!」
「そこで、ノーベル賞とってないけど、優秀で健康な若い男を口説きまくりました、グラハムさんは」
「口説いたのか、じーさんがあんちゃんを……!」
「そうです、はるか年下の人相手に、ずいぶんと恭しく接したみたいだねえ、そんな天才な人じゃなくても。どんだけ自分を下に見てたのかって感じだけど」
「謙虚な人なの?」
「いや、謙虚とも違うんじゃないの。でも本人も、ちゃんと成功者なんだよ、眼鏡のプラスチックレンズを開発して大儲けしてんの」
「すごいんじゃん?」
「ですよ。その大儲けしたお金を精子バンクにつぎこんだんです、それが彼の使命だから」
「し、使命なんですか」
「うん、あのねえ、世の中が平和でべんりになると、あんまり生き残る能力がない――優秀でない人間ものうのうと生きていられて、よくないんだって。で、そういう人がいっぱい子どもをつくると、よけいに無能な人間が増えちゃうから、優秀な人間をがんばって増やさなきゃいけないの」
「がんばって増やしてどうするの」
「世の中を平和でべんりにするんだよ!」
「……」
「……」
「…………なにその矛盾。それ、へんだって、グラハムさん気づいてなかったの」
「気づいてなかったんだねえ」
「ええー、ほんとうに? その本にそう書いてあるだけなんでしょう?」
「いや、だけって」
「キャラ付け次第で、どうとでも解釈できる領分なんじゃないかなあ、それ。君の話きいてると、まるでバカみたいだよ?」
「ううー、じゃあ、ほんとうはどうだっていうのさ」
「いや、知らないけど」
「知らないんじゃん!」
「当たり前だよ、いま君から聞いただけなんだから。その本書いた人、プロッツさんですか、本人に取材したの?」
「してませんできません。グラハムさん没後、精子バンク閉鎖後に取材したものだから」
「え、これっていつの話?」
「バンク設立が1980年、グラハムさんが亡くなったのが1997年、バンク閉鎖が1999年」
「20世紀のことだったんだ!」
「そうなんだよ、子どもたちも半ば成人してるはず」
「子どもたちどうしてるの?」
「さあ――取材は、インターネットで募集したんだよね。精子提供のドナーと、精子をもらった親と、生まれた子どもは、そうやって名乗り出るのを待ったみたい。いや、取材当時はまだ子どもは子どもだったんで、親を通して取材してるんだけど」
「それで名乗り出てくるもの?」
「うん――ドナーを探したい親とか、子どもを探したいドナーなんかが、連絡してきたみたい。で、母子家庭が多いね、父親……育ての父親とは血がつながってないせいなのかなんなのか、どうも気まずくなって離婚したっていうケース。そうなると他に家族が欲しくなって、遺伝子上の父親を探したくなるんだって」
「……それで、家族になってくれるの?」
「いやいやいやいや、そんなうまくはいきません。みんな、なんでか知らないけど、よっぽどの素晴らしい父親を期待してしまうらしくて、よけいに、ねえ」
「ダメ男ばっかり?」
「そういうわけでも。ひとりだけ、プロッツさんがほとんど惚れこんだみたいな、人格者がいたけど。まあでも、この精子バンクの場合、精子の提供は無償だったから、金目当てで提供した人だけはいない」
「金目当てって……優秀な人なんだから、そもそも金持ちなんじゃないの?」
「それがねえ、スカウトした人はともかく、売り込んできた人には審査がザルなの。IQ160って、そう言ってほしそうだから言っただけで、自分のIQなんて知らない、とか」
「売り込んでって……タダなんでしょ?」
「タダだけど。売り込んでくるの。自分の遺伝子を残さなきゃならんっていう、これまた使命感にとらわれてる人がいるもんなのです」
「生き物として正しいとは思うけど」
「彼の息子はそんな使命感を持ってなかったようです。……んー、この子は、自分が精子バンクの子だと知って、育ての父親とうまくいかなかったことに納得したり、遺伝子上の父親をすごく理想化して会いたがったりするんだけど、そうこうするうちに彼女が妊娠しちゃって自分も若くして父親になるんだよね。で、プロッツさんの仲介でドナーとは会えたんだけど……このドナーはダメ男なんだけど魅力はあるって類の人なんだなあ、つまり、父親としちゃいちばん厄介なタイプで、理想とは違って、なんでそんなに子どもをつくりたがって、でも放置するんだかぜんぜん理解できない――けど、いっしょに過ごすのはなかなか楽しませてくれる人で――理想の父親なんてのはいなかったけど、でも、すっきりしたみたいな」
「憑き物が落ちた、みたいに?」
「それそれ! その後、別々に暮らす育ての父親と、なんか、うまくいくようになったみたい、なぜか」
「……複雑なんだか単純なんだか……まあ、人生いろいろだね」
「まとめるなよ!」
「まとめちゃうよぅ。だって、べつに、天才だとか人類の未来だとか関係ない、ふつうに、家族の話じゃないですか」
「うーん……。これは別の、この精子バンクの子どもだと生まれたときからマスコミに知られて育った子の発言なんだけどね、僕はいつも、お前は特別なんだよと言われて育ちました。でも、特別なんかでありたくはなかった
」
「あー、それだったらだいじょうぶだよぅ、特別じゃないない」
「か、軽く言うなあ……!」
「軽いよ! ひとごとだし! でも、人生いろいろで表せる範囲の特別だよ、それは。だいたいみんな特別で、だいたいみんな特別じゃないのだよ」
「軽い上に自信ありげ……!」
「ふふん、僕は、グラハムさんみたいに人類の未来を憂いたりしないから、わかるのだ! たいていの人間は人類の未来なんかどーでもいい! 人類の未来より自分の老後!」
「……いや、それこそ、たいていの人間は知ってることだから、えばらなくても……」
「そーなんだよねー、知ってるんだよ。えらいひとにはそれがわからんのだけども」
「んんー、でもなー、ちょっとばかり優秀な人の精子をもらって子どもを産んだり、そうやって生まれて生きたりすることが特別じゃないっていうなら、どこまでいったら特別になるの?」
「どこまでいっても特別じゃないよ!」
「ええー、たとえばさ、数学がよくできるように遺伝子操作できるようになって、そうされて生まれても、特別じゃないの?」
「特別じゃないよ。生まれなんてどうでもいいんだよ、だって本人に選べないってことじゃ、古今東西未来永劫かわんないじゃん」
「むー、選べないけどさあ、選ばされてる感があるじゃん、そこまでやられると。育て方も、強制するでしょ、どうせ」
「生まれてきちゃえばこっちのものだよ、自由だもの、そんなの」
「……うわーん、なんでそんなに断言するんだかわかんない! 自由かもしれないけど、自由なんだって気づけないよ、それ! だったら自由じゃないよ!」
「そうかなあ、それもまた自由じゃないの」
「……めんどくさくなってきたな!?」
「だって僕、人間じゃないもん」
「僕だって人間じゃないよ!」
「だったらいいじゃん。人間が自分の子どもの遺伝子操作をしたいというなら、ほんとうは自分がそうやって操作されて生まれてきたかった、ってことだよ。だから、いいんだよ」
「えっ、他人だから操作したいんじゃないの?」
「違うよぅ。だって人間の基本は、『じぶんのものを遺したい』んだもん。だから、操作された子どもは、『じぶん』なんだよ」
「……ううー、わかんないよぅ」
「じゃあ僕、寝るね、おやすみー」