「命があるっていうのは、時間があるっていうことだよね」
「そ、そう?」
「そうです! 時間の流れを感じることが生きること」
「それって……寝てる間は死んでるの?」
「あ、あれ?」
「逆に、夢を見てると、夢の中では何十時間も経ったりするよね。もちろん何十時間も寝てないのに」
「あ、うん……」
「また変なことを言ったね!」
「むう、時間の流れって一定じゃないんじゃないの、そもそも?」
「そうきたか」
「江戸時代まで(正確には明治5年まで)、日本では不定時法だったでしょ。時間を一定に測ってなかった」
「一刻は二時間じゃないの?」
「それは平均です。昼と夜をそれぞれ6等分するの。一日を12に分けるから平均すれば一刻二時間だけど、昼と夜で一刻の長さが違うし、季節でも違う」
「めんどくさいことするなあ」
「いや、時計なんてそう持ってるもんじゃないし、太陽の高さで時刻がわかるから、そっちのほうがべんりだった、らしい?」
「ふうん?」
「……っていうより、たとえその長さが違ったとしても、一刻の価値、という点では一定だったんじゃないかと思うんだよね!」
「価値?」
「夏の昼の二時間と冬の昼の二時間は価値が違うけど、夏の昼の一刻と冬の昼の一刻は価値が同じなの」
「灯りが貴重品だったからかな」
「まあね。外仕事の人が多そうだしね。昔の日本人と現代人の時間感覚が同じだとは思えないな!」
「それは……そうかもしれないけど……」
「なんでそんなにうなずきたがらないの!」
「洗脳されちゃうからだよ!」
「洗脳されちゃってよ!」
「ところで時間の価値って何!」
「か、価値?」
「命が時間だとするならば、命ってどんどん、削られていくものなの? それこそ、刻一刻と。何をしていても、何もしていなくても」
「与えられた時間を
せいぜい しあわせに死を待って
生きるといい」
「……………………なんかこわいよ!」
「えええ、君だって同じようなこと言ってたよ?」
「言った!?」
「言いました。生き物は必ず死ぬって言いました」
「死を待つのとは違うもん! 待つなよ! なんにも、待つな! 待ったら死ぬ!」
「待たなくても死ぬんじゃないの?」
「そうだけどさあ、違うじゃん!」
「なんとゆうか、時間の価値っていうより、人生の価値の話になってない?」
「む」
「にんげん以外の動物にも、植物にも、命があって、時間もあるよね」
「僕にもね!」
「僕にもね!」
「というか、価値、というのからして、人間的な概念なんだから、仕方ないんじゃ……」
「ああ、そうか、人間以外の生き物は、命や時間に価値があろうとなかろうと、ただ生きるだけなんだ……」