昔の文章

一六〇番の犯した罪を、神は赦したが人間は赦さない。

この間書いた、許す許さないの話をまだ考えていて、昔書いたこの本↑の感想を見つけた。

どうやって罪を償うのか、という以前の問題から提起されているようだ。すなわち、罪とは何か。なぜ罪は償われなければならないのか。それは誰のためになされるのか。……ああ、それは、国家のためだよねえ。治安維持だ。つまるところ国民のためになるんだけど、個々人のためというわけではないことを考えると、やはり国家のためなのだった。……虚しいなあ。当人たちにとっては人生を揺るがす、大問題であることが、一度システムに組み込まれると、彼らの感情とはまったく違った次元の話として語られるのだ。決して地に足のつかない話として。私たちの生活は、そうした、一部の人たちの違和感をのみこんで成り立っているのだ。当事者にならない限り、それに気づくことはない……。ある程度仕方のないことではあると思う。心の問題を国が何とかできるなどとは思ってはいけないと思うし。

しかし、ストーリーをさっぱりおぼえていないんである。なんでこんなこと書いてるんだろう。
昔、って、具体的にいうと2002年3月20日です。……。